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山口地方裁判所下関支部 昭和60年(ワ)109号 判決 1987年12月21日

原告(亡波多野浩承継人を兼ねる。) 波多野美幸

右訴訟代理人弁護士 中尾晴一

被告 国

右代表者法務大臣 林田悠紀夫

右訴訟代理人弁護士 中野昌治

右指定代理人 小松原明

<ほか四名>

主文

一  被告は原告に対し、一一〇万円及び内一〇〇万円に対する昭和五七年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四〇分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。ただし、被告が六〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

(一)  被告は原告に対し、四八五四万九二七〇円及び内四五〇四万九二七〇円に対する昭和五七年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  第(一)項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

(三)  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

1  当事者

(一)  原告及び亡波多野浩(以下「浩」という。)は亡波多野元(昭和五七年八月一〇日死亡。以下「元」という。)の両親であり、原告及び浩以外に元の相続人はいない。

浩は、本件訴訟提起後の昭和六二年一月二三日死亡し、原告がその権利義務一切を承継した。

(二)  被告は国立山口病院(以下「国立病院」という。)を所有、経営し、同病院において医師藤本繁樹(以下「藤本医師」という。)が勤務している。

2  元が死亡するに至った経緯

(一)  元は、当時立命館大学三回生(二一歳)に在学していたが、夏期休暇のため原告の肩書住居地に帰省していたところ、昭和五七年八月九日昼頃、吐気を催し、食事をとることができなくなった。

元は、その日の夜になって、顔のひきつり、視野異常、痙攣を訴えたため、原告及び浩は、同日午後一〇時頃、診察のため元を国立病院へ連れていった。

(二)  元は、国立病院に到着した際には、即に足に力が入らず、一人で歩行することが困難であったため、病院備え付けの車椅子を使用して診察室へ行き、藤本医師の診察を受けた。

(三)  藤本医師は、診察室で、原告及び浩からそれまでの元の経過の説明を受けた後、元に問診を行い、瞳孔を観察したうえ、一〇分足らずで診察を終え、傷病名として一過性左片麻痺、頭痛と診断した。

藤本医師は初診時の症状として、当日昼頃より悪心嘔吐があり、午後一〇時頃には、全身痙攣、しびれ感、ろれつが回らない、顔面左半分麻痺、左右瞳孔不同を認め、神経学的検査が必要と判断したにもかかわらず、検査の緊急の必要性、入院の必要性について充分認識せず、原告及び浩に対し、元を帰宅させてもよいと申し出た。

(四)  元は、同日午後一〇時五〇分頃国立病院に入院したものの、藤本医師は、その後は自ら措置することなく、看護婦に点滴等の措置を指示したうえ、自宅官舎に帰宅した。

国立病院の夜勤看護婦は藤本医師の指示により午後一一時過ぎ頃、元に痙攣止めの注射を行ったが、元はその後急激に症状が悪化した。

藤本医師は、翌一〇日午前零時四五分頃、夜勤看護婦から元に嘔吐、顔面痙攣が認められる旨の電話連絡を受けながら、自ら病院に赴くことなく、夜勤看護婦に指示してホリゾンの注射をさせた。

さらに、藤本医師は同日午前一時五〇分頃、夜勤看護婦から元に嘔吐が続き、発汗がある旨の電話連絡を受けたにもかかわらず、自ら病院に赴くことなく、夜勤看護婦に制吐剤、鎮静剤の注射を指示したにすぎなかった。

なお、元は同日午前二時頃にはいびきをかき出し、息づかいが荒くなった。

(五)  藤本医師は、夜勤看護婦の電話連絡により、同日午前三時頃、ようやく病院に赴いたが、その時点では元は既に瞳孔が開き気味で舌根は沈下し、いびきもかいており、意識はほとんどなく危篤状態であった。

藤本医師は、この段階ではじめて元の気道確保、気管内挿管の処置に着手したものの、麻酔や筋弛緩剤の使用もせずに約四〇分も挿管に手間どり、その後国立病院の他の医師の応援を得てようやく挿管を完了した。

(六)  原告及び浩は、以上のような藤本医師の措置に不安を感じ、転院の申し出をした結果、元は同日午前六時頃、社会保険下関厚生病院(以下「厚生病院」という。)に転送されたが、既に危篤状態となっており、同日午後一一時四〇分死亡した。

3  被告の責任

(一)  藤本医師の過失

(1) 転送義務の懈怠

元は、国立病院来院時には、言語障害、痙攣、とりわけ左右瞳孔不同など明らかに脳症状と思われる症状を呈しており、緊急なる処置を必要とすることは一目瞭然であったところ、同病院には、当時脳神経外科がないうえ、その設備も十分でなく、また、藤本医師も脳神経外科の専門医でなかったのであるから、藤本医師としては直ちに脳神経外科の専門医のいる病院へ転送すべき注意義務があったというべきである。それにもかかわらず、藤本医師は転送もせず、徒らに放置したため、初期の段階で早期診断をし、開頭手術などの早期治療をする機会を失わしめ、その結果、元を頭蓋内圧亢進による全身症状悪化によって死亡するに至らせた。

(2) 気管内挿管の処置の過失

元は、国立病院入院後、意識レベルの低下、チアノーゼ等の症状を呈し、明らかに呼吸不全の状態を生じていたのであるから、藤本医師としては直ちに気管内挿管をなすべき注意義務があったにもかかわらず、同医師は、前記のとおり気管内挿管を早急になすことができず、その結果、元の脳の低酸素状態を悪化させ、脳浮腫による頭蓋内圧亢進により全身状態悪化を惹起し、元を死亡するに至らせた。

(3) 呼吸管理の処置の過失

藤本医師は、少なくとも元がいびきをかき、息づかいが荒くなり、舌根沈下の症状を呈した午前二時頃の時点で呼吸管理を適切に行なう注意義務を負担していたというべきところ、右義務に違反し、元が前記症状を呈してから相当後の午前三時頃になってはじめて呼吸管理に着手したため、既にチアノーゼを呈し、呼吸障害を発生させていた元の全身症状を急激に悪化させ、死亡に至らせた。

(4) 医療水準上診療等に万全を尽すべき注意義務違背

藤本医師は、元の国立病院初診時の状態からすれば、緊急なる検査措置及び厳重なる全身管理と監視体勢を行なう注意義務があったにもかかわらず、その状況を認識せず、検査もなさず、痙攣止めの注射等の場当たり的対症療法を看護婦に指示したにとどまり、その後、看護婦より痙攣等の症状の連絡を受けるも午前三時頃まで何らの診察をなさなかった。

そのため、元は医療機関から疾病治療のために相当な治療を受けることのできる利益、権利を侵害された。

(二)  被告の責任

前記のとおり、被告は国立病院を所有、経営し、藤本医師が同病院において勤務しているのであるから、民法七一五条又は、国家賠償法一条一項により、原告の後記損害を賠償すべき責任を負うべきである。

4  原告の損害

(一)  逸失利益 二五〇四万九二七〇円

元は、死亡当時立命館大学に在学する二一歳の男性であったところ、前記藤本医師の過失により昭和五七年八月一〇日死亡したから、就労可能年数を四六年(67-21=46)とし、昭和五七年賃金センサスの平均賃金を用いてホフマン方式によりその逸失利益を計算すると、以下のとおり二五〇四万九二七〇円となる。

(156,500×12+250,800)×1/2×23.5337

25,049,270(円未満切捨て)

(二)  慰謝料 二〇〇〇万円

元は、前記のとおり、藤本医師の過失の故に、患者として当然に期待することのできる診察や治療を受けることができず、しかもそのために死亡したのであるから、その精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料相当額は二〇〇〇万円が相当である。

(三)  葬儀料 合計一〇〇万円

原告及び浩は元の葬儀を行ない、その費用として各五〇万円を支出して同額の損害を被った。

(四)  弁護士費用 合計二五〇万円

原告及び浩は、本訴の提起、追行を原告訴訟代理人に委任して、その報酬として各一二五万円の支払いを約し、同額の損害を被った。

(五)  原告の相続

元は、昭和五七年八月一〇日死亡し、原告及び浩がその権利義務一切を各二分の一の割合で相続したが、その後、浩は昭和六二年一月二三日死亡し、原告が浩の権利義務一切を承継した。

5  結論

よって、原告は、被告に対し、民法七一五条又は、国家賠償法一条一項の不法行為による損害賠償請求権に基づき、損害金四八五四万九二七〇円及び逸失利益と慰謝料の合計四五〇四万九二七〇円に対する不法行為の後の日である昭和五七年八月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二 請求原因に対する被告の認否及び主張

1 請求原因第1項の事実は認める。

同第2項(一)の事実のうち、元が当時立命館大学三回生(二一歳)に在学していたが、夏季休暇のため、原告の肩書住居地に帰省していたことおよび原告及び浩が昭和五七年八月九日、元を診察のため国立病院へ連れていったことは認め、その余は知らない。

同項(二)の事実のうち、元が病院備え付けの車椅子で診察室へいき、藤本医師の診察を受けた事実は認め、その余は否認する。

同項(三)の事実は否認する。

同項(四)の事実のうち夜勤看護婦が翌一〇日午前零時四五分ころ、元に抗痙攣剤を注射したこと、元が午前二時頃からいびきをかき出し、息づかいが荒くなったことは認め、その余は否認する。

同項(五)の事実のうち、藤本医師が来院し、診察を開始したことは認め、その余は否認する。

同項(六)の事実のうち、藤本医師が元を厚生病院に転送したこと及び元が同日午後一一時四〇分頃死亡したことは認め、その余は否認する。

同第3項の主張は争う。

同第4項の事実のうち、同項(五)の事実は認め、その余は否認する。なお、逸失利益については、男子労働者学歴計の二一歳の年収額を基礎とすべきである。

同第5項の主張は争う。

2 元が死亡するに至った経緯の主張について

(一)  診察の依頼と受け入れ体制

国立病院医事当直は、昭和五七年八月九日午後一〇時三〇分頃、浩より診断依頼の電話を受けた。

医事当直は、直ちに、当日の当直医師であった竹下貞子医師に電話の内容を伝えたところ、竹下医師は専門が小児科であったため、電話の内容からみて、外科医長である藤本医師の方が適当と判断し、医事当直に対して、藤本医師を緊急呼出して診察依頼するよう指示した。藤本医師は呼出しを受け、直ちに病院にかけつけ待機した。

(二)  初診から入院までの経過

元は、同日午後一〇時四五分頃、両親である原告及び浩に付き添われて来院した。

藤本医師が、両親に問診したところ、同日昼頃より悪心、嘔吐があり、その後左上下肢より右上下肢に移行する痙攣を認めていたとのことであり、元本人を診断したところ上下肢のしびれ感、言語障害、顔面左半分の麻痺、瞳孔不同及び左片頭痛を認めるも、四肢麻痺なし、腱反射正常、血圧一七〇ないし九〇(mm/Hg)、脈拍一〇八毎分であって、元の応答及び疼痛刺激反応からみて、意識状態は良好と認められ、緊急なる脳外科的処置を必要とするような状態とは認められなかった。

しかし、藤本医師は顔面左麻痺や瞳孔不同からみて、中枢になんらかの障害が発生している可能性も否定しきれなかったため、厳重なる呼吸、循環管理のもとに経過を観察する必要を認め、その旨を原告及び浩に説明したところ、原告及び浩も入院を承諾したので、同日午後一一時三〇分頃入院とし、第五病棟に入室させた。

(三)  入院後の経過

藤本医師は元が第五病棟入室後、直ちに夜勤看護婦に対して、左上下肢の痙攣、流涙に対処するため、アタラックスP(鎮静剤)五〇ミリグラムを筋肉注射(以下「筋注」という。)させた後、点滴ルートを確保させたうえ、ラクテックG(補液剤)五〇〇ミリリットル、ビタミンC五〇〇ミリグラム、ビタメジン一アンプル、ソリタT3G(補液剤)五〇〇ミリリットルの静脈注射(以下「静注」という。)を行わせ、以後は痙攣発作時にはホリゾン五ミリグラムの静注を、興奮時にはアタラックスP五〇ミリグラムを、悪心嘔吐にはプリンペラン一〇ミリグラムを、そして四時間毎にデカドロン(副腎皮質ホルモン。脳浮腫防止等のため)八ミリグラムの静注をし、意識状態に注意するよう指示して一旦官舎に引き上げた。

夜勤看護婦は、翌九日午前零時ころ、デカトロン八ミリグラムの静注を行ったが、同時刻頃、元は約三〇〇ミリリットルの嘔吐をもよおし、唇に痺れ感がありあまりうまくしゃべれない旨をやや興奮気味に訴えていた。

夜勤看護婦は、同零時四五分頃、元が再び嘔吐をもよおし、顔面に痙攣を認めたため、藤本医師に連絡、その指示によりホリゾン五ミリグラムの静注を行ったところ、鎮静し、血圧一五〇ないし一〇〇、脈拍七八となった。

夜勤看護婦は、同一時五〇分、元に嘔吐、発汗があったため、再び藤本医師に連絡、その指示により、同二時頃、アタラックスP(鎮静剤)五〇ミリグラム及びプリンペラン(制吐剤)一〇ミリグラムを静注した。

その後、元の血圧、呼吸、脈拍等には著変は認められなかった。

しかし、夜勤看護婦は、同二時四〇分頃、元の意識レベルの低下を認めたため藤本医師に連絡した。

藤本医師は直ちに来院し、診察したところ、自発呼吸は十分認められたものの、意識消失、瞳孔散大、対光反射消失の状態であり、意識が消失していくと舌根沈下による気道閉塞のおそれがあるため、気道閉塞の予防のため、気管内挿管によって気道確保を行うこととしたが、元の下顎の緊張が強く、気管内挿管は極めて困難であった。通常このような場合、一人の医師で実施するよりは、経験のいかんを問わず、他の医師の応援を求めるほうがよいとされているため、藤本医師はこの場合も後輩である船本正明医師の応援を求め、筋弛緩剤(ミオブロック四ミリグラム)を使用したところ元の下顎の緊張もとれ、きわめてスムーズに気管内挿管を完了した。

藤本医師は、その後一〇〇パーセントの酸素投与により、同三時四〇分頃、人口呼吸器(バードレスピレーター)を装着したが、この間も元の呼吸はバックマスクによって順調に維持、管理されており、元にはチアノーゼ等は全く認められなかった。

また、藤本医師は、元の同一時ころより発生していた摂氏四〇度を越えるような過高熱に対しては、氷あん法及びエーテル塗布により低体温療法を行った。

このような藤本医師の全身管理及び対症療法により、元は一応小康状態となった。しかし、藤本医師は元の意識消失等の状態からみて、脳神経系の異常が強く示唆されるようになったため、浩に対して、元の状態は危険な状態となったこと、脳神経系の異常が強く示唆されるため専門の病院への転送が望ましい旨を伝えたところ、浩は、これを希望する旨を申し出たため、同五時一〇分ころ、厚生病院脳外科に連絡をとり、受け入れの可能性を確認したうえ、転送を決めた。

(四)  転送の経過

藤本医師は、同五時三六分頃、元をバックマスクにて人工呼吸を継続しながら、救急車に乗せ、救急車に備えつけられた酸素の配管設備による十分な呼吸、循環管理の下に搬送した。

藤本医師は同六時七分頃厚生病院に到着し、元を同病院弥富医師に引き継いだ。

厚生病院は、元に対し、脳脊髄液検査やCT検査等を実施したが、特に異常は認めず、脳内圧亢進を疑わせる結果も見当たらなかったため、日本脳炎等の劇症脳炎を想定し、下関市立中央病院の伝染病棟に転送することを考慮していたところ、同日午後より元の状態が急激に悪化していったため緊急措置を施したものの、同日午後一一時四〇分頃死亡した。

3 被告の責任(藤本医師の過失)の主張について

(一)  転送義務の懈怠について

前記診察経過から明らかなように、元の初診時の状況は意識状態が良好であり、左右瞳孔不同といっても、重篤な状態ではなく、緊急なる脳外科的処置を必要とするような状態ではなかったところ、国立病院は当時手術を要する等の重篤な脳神経疾患には対応できなかったが、その他対症療法などに対応する設備、陣容が整っていたのであるから、初診時に転送の必要性は認められない。

(二)  気管内挿管の処置の過失について

藤本医師は、気管内挿管の処置の際にも、バックマスクにより元の呼吸を順調に維持管理しており、チアノーゼ等は全く認められなかったのであるから、自発呼吸を停止させる作用を有する筋弛緩剤の使用を慎重にし、挿管に手間どったとしても、何ら問題はない。

(三)  呼吸管理の処置の過失について

いびきをかき出し、息づかいがあらくなったとしても酸素不足の兆候とはいえないのであって、前記のとおり、元にはチアノーゼが全くなかったこと、元は右の症状を呈した午前二時頃から約二〇時間以上も生存していたことからすれば、藤本医師に呼吸管理の処置の過失がないのは明らかである。

(四)  医療水準上診療等に万全を尽くすべき注意義務違背について

前記のとおり、元の初診時の状態は生命の危険があるような重篤な状態ではなかったのであるから、藤本医師がとった処置以上の措置をとる必要はなかったというべきである。

また、点滴ルートの確保、投薬等が看護婦によりなされた点についても、医師の指示監督の下で行われているのであるから問題となりえない。

さらに、「疾病治療のために相当な診察をうけることのできる利益、権利」は、その内容はおろか実定法の根拠さえ明確なものではなく失当である。

4 診療上の過失と元の死亡との因果関係について

仮に、藤本医師に何らかの診療上の過失があるとしても、元の死因が「脳炎(日本脳炎)」と判断されていることからすれば、同医師の行なった全身管理及び対症療法が最も妥当な治療方法であって、右過失と元の死亡との間に因果関係は存しない。

第三当事者の提出、援用した証拠《省略》

理由

一  当事者について

請求原因第1項(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二  元が死亡するに至った経緯について

《証拠省略》を総合すると以下の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

(一)  元は、当時立命館大学三回生(二一歳)に在学する学生であったが、昭和五七年七月二九日、夏期休暇のため原告の肩書住居地に帰省した。(但し、右事実は当事者間に争いがない。)

元は帰省後、特に変わった様子はなく、海水浴に行ったりして過ごしていた。

(二)  元は、同年八月九日午前一〇時過ぎに起床したが、朝食を食べず、昼食時にも浩と共に外食に出かけたものの、吐気を訴えたため、何も食べずに帰宅し、午後一時過ぎ頃、お粥を自宅で食べた。

その後も、元は自宅で寝転んだりしてテレビを見て過ごしていたが、夕食も午後六時頃、お粥を一杯食べただけで、その後もまた寝転んでテレビを見て過ごしていた。

元は同日午後九時半頃、「顔がひきつるような気がする。」旨原告らに訴えたため、床に就いたが、その後も、「足ががくがくする。」とか「目がよく見えない。」など異常を訴えた。

そこで、原告及び浩は医師の診察が必要と判断し、原告が近隣の開業医のところへ診察の依頼に出かけたが、その開業医の身体の調子が悪く診察を拒絶されたため同日午後一〇時三〇分頃、浩が国立病院へ電話連絡し、同院の医事当直から来院するよう指示され、原告及び浩が元と共に自家用車で国立病院へ赴いた。(但し、原告及び浩が昭和五七年八月九日、元を国立病院へ診察のため連れて行ったことは当事者間に争いがない。)

一方、国立病院の医事当直は浩より電話を受けた後、直ちに当日の当直医師に電話内容を伝えたが、当直医師は専門が小児科であったため、電話内容から外科医が適当と判断し、医事当直に対して、国立病院の外科医三名の内、当日の緊急の際の当番であった藤本医師を緊急呼出して診察依頼するよう指示し、呼出しを受けた同医師が病院敷地内の宿舎から約五分で同院へかけつけ待機した。

(三)  元は、同日午後一〇時四五分頃、国立病院へ到着し、歩行不能という状態ではなかったものの、身体全体が不自由な素振りだったので、原告により病院備付けの車椅子に乗せられ、救急処置室へ運ばれた。

藤本医師は、救急処置室で元、原告及び浩に対し、問診により、当日昼頃より悪心、嘔吐があり、午後一〇時頃には左上下肢より右上下肢に移行する全身性の痙攣を認めていたと聞き、さらに診察の結果、元には上下肢のしびれ感あり、ろれつが回らず(言語障害)、顔面左半分に麻痺があり、左右瞳孔不同、左片頭痛を認めるも、四肢に麻痺はなく、腱反射正常、血圧一七〇ないし九〇mm/Hg、脈拍一〇八毎分の状態であって、元の応答や疼痛刺激反応から意識状態は良好と判断し、傷病名を一過性左片麻痺、頭痛と診断し、約一〇分間で初診を終えた。(但し、元が病院備付けの車椅子で診察室へ行き、藤本医師の診察を受けたことは当事者間に争いがない。)

藤本医師は、右診断の結果から中枢神経系の疾患も疑ったものの、重篤な状態とは考えなかったため、原告及び浩に対し、神経科の医師が三日後位に来院予定なので、それまで帰宅して待つか、入院するか尋ねたところ、原告らが入院を希望するので、同日午後一〇時五〇分頃、元を経過観察のため入院させることとした。

なお、国立病院には当時CTスキャン設備はなく、脳外科の専門医もおらず(藤本医師自身脳外科の専門医ではなかった。)、脳血管撮影等の機械はあるものの、使いこなせる医師はいなかった。

(四)  藤本医師は、その後元に対し、何らの検査を行うことなく、夜勤看護婦に対し、点滴ルートを確保させたうえ、ラクテックG(補液剤)五〇〇ミリリットル、ビタミンC五〇〇ミリグラム、ビタメジン一アンプル、ソリタT3G(補液剤)五〇〇ミリリットルの静注を指示し、以後は痙攣発作時にはホリゾン五ミリグラムの静注を、興奮時にはアタラックスP五〇ミリグラムを、悪心嘔吐にはプリンペラン一〇ミリグラムを、そして、四時間毎にデカドロン(副腎皮質ホルモン)八ミリグラムの静注をなし、意識状態に注意するよう指示して自宅宿舎に帰宅した。

元は同日午後一一時三〇分にストレッチャーで病室へ搬送されたが、その際には、体温が摂氏三七・一度、脈拍九六毎分、血圧一六〇ないし一二〇mm/Hg、吐気はないが顔面は紅潮気味で、全身倦怠感あり、左半身に麻痺あり、発語が出来ず発汗多量で泣いている状態であった。

夜勤看護婦は、入院後、元の左手左足に痙攣が認められたため、アタラックスP(鎮静剤)五〇ミリグラムを筋注した後、点滴ルートを確保してラクテックG五〇〇ミリリットルの補液を開始した。

夜勤看護婦は、翌一〇日午前零時頃、デカドロン八ミリグラムの静注を行ったが、元は約三〇〇ミリリットルの白色胃液を嘔吐し、左上下肢に不随意運動あり、発語できないため興奮気味であった。

原告は、同日午前零時三〇分頃、氷枕を持参し、元の手を握ってやったりしたため、元の興奮はややおさまったが、なお唾液を口から流したりしていた。

元は、同日午前零時四五分頃、再び約一〇〇ミリリットルの胃液様のものを嘔吐し、一時的に意識をなくして口をがくがくさせ、舌をかみそうになったりしたため、当直看護婦は、藤本医師に電話で、顔面痙攣ありと報告したが、同医師は自ら病院に赴くことなく夜勤看護婦に電話で投薬を指示し、その指示により、同看護婦がホリゾン五ミリグラムの静注を行ったところ、同日午前一時頃には鎮静し、血圧一五〇ないし一〇〇mm/Hg、脈拍七八毎分となった。(但し、夜勤看護婦が翌一〇日午前零時四五分頃、元に抗痙攣剤を注射したことは当事者間に争いがない。)

元は、同日午前一時ころには名を呼ぶとかすかに開口するような状態で、午前一時三〇分ころ、導尿が行われたが、痙攣発作が認められ、午前一時五〇分ころには激しい嘔吐、発汗があったため、夜勤看護婦は再び藤本医師にその旨電話連絡したが、同医師は自ら病院に赴くことなく、夜勤看護婦に電話で投薬を指示し、その指示により同看護婦が午前二時頃、アタラックスP(鎮静剤)五〇ミリグラムおよびプリンペラン(制吐剤)一〇ミリグラムを静注した。

(五)  その後、元は午前二時頃にはいびきをかき出し、息づかいが荒くなり、午前二時二五分頃再び不随意運動を始め、同三〇分頃には対光反射において、右が散瞳の状態となり、同四〇分頃には意識レベルが低下した。(但し、元が午前二時頃からいびきをかき出し、息づかいが荒くなったことは当事者間に争いがない。)

そのため、夜勤看護婦は、同日午前二時四〇分頃、藤本医師に対し、元の意識状態が非常に悪化した旨電話連絡したところ、同医師は同日午前三時前頃国立病院へかけつけ、元が国立病院に入院後始めて診察したが、その際には元は既に意識がなく、左右の瞳孔が開き、対光反射消失の状態であった。(但し、藤本医師が来院し、元の診察を開始したことは当事者間に争いがない。)

藤本医師は、意識が消失していくと舌根沈下による気道閉塞のおそれがあるため、その予防のため気管内挿管によって気道確保を行うこととしたが、元の下顎の緊張が強く手間どり、筋弛緩剤(ミオブロック)を使用し、国立病院の船本正明医師の応援を求め、約四〇分間かかって同日午前三時四〇分頃、ようやく気管内挿管を完了し、人工呼吸器(バードレスピレーター)を装着した。なお、藤本医師は、筋弛緩剤を用いると自発呼吸が停止するおそれがあるため、右挿管中バックマスクにより元に酸素の供給を継続し、その結果、チアノーゼは認められなかった。

その後、元の血圧、脈拍は比較的安定したものの、体温が摂氏四〇度以上あり、上半身を中心に発汗があったため、藤本医師は氷嚢を元の頚部、腋下部、そけい部にあてたり、アルコールを塗ったりして冷やした。

(六)  原告及び浩はこれまでの診察経過から国立病院での治療に不安を感じ、同日午前五時頃転院を申し出、藤本医師も前記の元の症状から中枢神経に異常があることが強く疑われたため、脳外科専門の病院で検査等を受けた方がよいと考え、同日午前五時四〇分頃酸素を供給しながら救急車で厚生病院へ搬送し、同日午前六時頃同病院脳神経外科に到着した。(但し、藤本医師が元を厚生病院に転送したことは当事者間に争いがない。)

元は、厚生病院到着時には、挿管中で、自然呼吸あり、両側散瞳、項部強直はなく半昏睡状態で除脳硬直が認められた。

厚生病院においては、元に対し、胸部X線撮影、頭部CTスキャン、血液検査、髄液検査等の諸検査を行い、日本脳炎の疑いと診断したうえ人工呼吸器を装着して呼吸状態を良くし、抗痙攣剤、解熱剤を投与し、全身冷却、水分補給、ステロイド副腎皮質ホルモン、グロブリン製剤を使用するという対症療法を行ったものの、元は同日午後一一時四〇分頃死亡した。(但し、元が同日午後一一時四〇分頃死亡したことは当事者間に争いがない。)

三  被告の責任について

1  元の死因について

《証拠省略》によれば、厚生病院の脳神経外科の福村昭信医師は、(1)元の身体症状が急激に変化していること、(2)元は高熱を発し、高度の意識障害、痙攣を生じ、除脳硬直、両側瞳孔散大、対光反射消失の症状を呈していること、(3)元にはCTスキャンで出血、梗塞所見が認められないことから元を劇症脳炎と診断し、さらに、季節が夏季であること、元の髄液検査で糖が高値(細胞数リンパ球六個、蛋白二〇ミリグラム毎デシリットル、糖一八〇ミリグラム毎デシリットル)を呈したことなどから、元の所見を日本脳炎の疑いと診断したこと、元の死亡後、厚生病院は元の遺体解剖を申し入れたが原告及び浩に拒絶されたため元の確定診断に至らなかったことが認められる。

原告は、元が頭蓋内圧亢進による全身症状悪化により死亡したと主張するが、《証拠省略》によれば、元は厚生病院転院後におけるCTスキャンや髄液検査によっても髄圧等に特に異常が認められなかったことが認められるから元の死因を頭蓋内圧亢進によるものと判断することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、元は劇症脳炎(その内、日本脳炎による可能性が高い。)に基づく全身状態悪化による心停止によって死亡したと認めることができるものというべく、他にこの認定判断を左右するに足りる証拠はない。

2  藤本医師の過失について

(一)  《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1) 全身性の痙攣あり、ろれつが回らず、左顔面麻痺、左右瞳孔不同の症状を呈する患者に対しては、一応①中枢神経系の疾患、②破傷風のような感染症、③精神的な疾患等が疑われる。

しかし、破傷風の場合、顔面左半分が麻痺することは少なく、また精神的な疾患(ヒステリー)では瞳孔不同の症状が現れないことが多く、さらに成人が全身性痙攣の症状を呈した場合には脳出血、脳梗塞、脳炎等の疑いが強いのであって、これらのことからすれば、前記症状からは少なくとも脳炎や脳卒中等の中枢神経系の疾患の疑いがあると判断すべきである。

(2) 脳炎や脳卒中の疑いがある場合には、できるだけすみやかにCTスキャン等の諸検査を行い、診断を確定し、その診断に基づいた治療を行う必要がある。

(3) 厚生病院においては、元の発病当時、脳神経外科の専門医が三名おり、「左右瞳孔不同、顔面麻痺、ろれつが回らない」症状を呈する患者が搬入された場合には早急に(夜間であっても)CTスキャン、心電図検査、血液検査、脳波検査、髄液検査、胸部X線撮影等の諸検査を行い、特別の措置室(NCC)に収容し、血圧、呼吸、脈拍を常時専任看護婦が監視し、緊急事態には右専門医が直ちに診察、措置しうる態勢がとられていた。

(4) 国立病院においては、当時CTスキャン設備はなかったものの、他の諸検査はほとんどなすことができ、夜間でも不可能ではなかった。

(二)  そこで、前記認定の医学的知見に照らし、藤本医師による本件診療行為の当否について判断する。

まず、初診時における診療行為の当否について検討するに、《証拠省略》によれば、藤本医師は初診時、元の症状として、全身性の痙攣あり、ろれつが回らず、左顔面麻痺、左右瞳孔不同を認めたものの、意識状態が正常であったため、中枢神経系の疾患、破傷風のような感染症、精神的な疾患のいずれか確定できず、経過観察のため入院させ、点滴ルートの確保を行い、痙攣発作時には抗痙攣剤(ホリゾン)、興奮時には鎮静剤(アタラックスP)、嘔吐時には制吐剤(プリンペラン)、四時間毎に脳浮腫防止のため副腎皮質ホルモン(デカドロン)のそれぞれ静注を当直看護婦に指示したというのである。前記(一)(1)で認定したとおり、元の初診時の症状からは中枢神経系の疾患、すなわち、少なくとも脳炎や脳卒中の疑いが窺われたのであるから、藤本医師が当時CT設備がなく、また脳神経外科の専門医もこれに対する治療体制も十分でなかった国立病院から脳神経外科の専門病院に転送しなかった点に不十分な点があったことは否定できない。しかし、救急外来患者の診察にあたる医師に対して、既にその初診時において完全な診察と正確な診断をなすべきことを要求するのは必ずしも相当でなく、元の初診時の状態が完全に正常であり、いわゆる重篤な状態ではなかったことからすると、藤本医師が初診時に元に対して施した前示のような処置や投薬は現代医療の水準に照らしても、医師の裁量の範囲内のものとして是認することができるものということができる。そして、他に、初診時における藤本医師の診断や治療に医師として尽くすべき注意義務を怠った過失のあることを肯認するに足りる証拠はない。

ついで、元を経過観察のために国立病院に入院させた時点以降における藤本医師の行為の当否について検討する。原告は、藤本医師の気管内挿管の処置の過失や呼吸管理の処置の過失を主張するが、前述認定事実によれば、藤本医師は気管内挿管に手間どったものの、挿管中はバックマスクにより元に酸素の供給を続けていたためチアノーゼは全く認められなかったというのであるから、単に気管内挿管に手間どったことのみをとらえて過失ということはできないし、又、より早く呼吸管理を行う事が望ましかったとしても、チアノーゼが全く認められていないことからすると呼吸管理の処置の過失を認めることもできない。しかしながら、同医師は元を同病院に入院させた前記八月九日午後一一時三〇分頃から、元が意識消失の状態を呈した翌一〇日午前三時前頃までの約三時間半の間、一回たりとも元の診察に赴いたことがなく、従って当直看護婦より元の症状に異常が認められたとして二度も電話連絡を受けながら、その都度元を直接診断することなく、夜勤看護婦の連絡内容のみから元の症状を判断し、同看護婦に抗痙攣剤、制吐剤等の投与を指示する方法で対症療法を継続しただけで、確定診断に要する何らの検査も行っていないことは既に認定説示したとおりである。このような藤本医師の診療態度が医師として尽くすべき注意義務を怠るものであることは、前記(一)(2)に認定説示したこと、すなわち、脳疾患が疑われる場合には、すみやかに諸検査を行い、その確定診断に努め、その診断に応じた治療を行うべきであるという観点(しかも、これは当時の厚生病院及び国立病院の体制等の医療水準に照らしても到底不可能を強いるものとはいえない。)に照らして明らかというべきであり、結局、同医師には右の点に過失があったものといわなければならない。

被告は、看護婦による点滴ルートの確保、投薬等も藤本医師の指示監督の下で行われたのであるから何ら問題はない旨主張するが、藤本医師自身、初診時の時点では中枢神経系の疾患も疑われたものの、確定診断がつかないため経過観察のため入院させたにもかかわらず、確定診断のために要する何らの検査も行うことなく、また、自ら直接元の症状を観察する態勢をとらなかったため、入院後直ちに元に生じた痙攣の状態を確認することなく、また、翌一〇日午前零時四五分頃の一時的な意識消失の状態さえ把握できず、元の意識状態が消失した重篤な状態に至るまで場当たり的に対症療法に終始したというのであるから、被告の右主張が失当であることはきわめて明らかである。

以上のとおりであって、元を入院させてから同人が重篤な状態に陥るまで一回もその診察を行わなかった藤本医師には患者の経過観察上医師が尽くすべき前示の注意義務を怠った過失があるものというほかなく、他に右認定、判断を左右するに足りる証拠はない。

3  義務違反と損害間の因果関係について

(一)  元の死因が劇症脳炎とりわけ日本脳炎に基づく全身状態悪化による心停止であることは前記認定のとおりである。

(二)  ところで、《証拠省略》によれば、劇症脳炎に対しては、現状では有効な治療薬が存在しないこと、従って、劇症脳炎に対する治療法は呼吸管理、解熱、痙攣の防止等の対症療法を内容とする全身管理しか考えられないことが認められ他に右認定を覆すにたりる証拠はない。

そうすると、仮に、藤本医師において元に対する十分な経過観察を行い、その結果元が脳炎に罹患していることをより早期に発見し、直ちに脳外科の診療態勢の整った病院へ転院させたとしても、同病院における医療措置により元の全身状態の悪化を防ぎ、元が救命されたであろうことを認定することは困難であるといわざるを得ない。その他、本件全証拠によるも、もしも、藤本医師が医師として尽くすべき注意義務を懈怠することなく元の経過観察にあたっていたとすれば、同人を救命し得たであろうと認めることはできない。

従って、元の死亡に基づく損害について、藤本医師ひいては被告の責任を問うことはできず、原告の本訴請求のうち、元の逸失利益、元の慰謝料中元の死亡を理由とするもの及び葬儀料を求める部分はいずれも失当である。

(三)  しかし、他方、医師と患者の医療契約の内容には、単に当時の医療水準に拠った医療を施すというのみではなく、そもそも医療水準の如何にかかわらず、最大限緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき約が内容とされており、医師は本来そのような注意義務を負うものと解するのが相当である。たとえ、医師のその作為、不作為と対象たる病患について生じた結果との間に相当因果関係が認められなくても、患者の救命の可能性が絶無ではなかったのに、医師が右義務に違反して著しく粗雑、杜撰で不誠実な医療をなしたが故に患者の救命の可能性を奪った場合には、結局、医師は右の最大限適切な治療を求める可能性を侵害したものというべく、これによって、患者側に与えた精神的苦痛を慰謝する責任があるというべきである。

これを本件についてみるに、前記のとおり、藤本医師は、元を経過観察のため国立病院に入院させておきながら、元が意識消失の重篤な状態に陥るまで一回たりとも元の診察に赴いたことがなく、従って、夜勤看護婦より、元の症状に異常が認められたとして二度も電話連絡を受けながら、その都度元を直接診断することなく、看護婦の連絡内容のみから元の症状を判断し、看護婦に抗痙攣剤、制吐剤等の投与を指示する方法で対症療法を継続しただけで確定診断に要する何らの検査も行っていないというのであるから、右藤本医師の本件医療は著しく粗雑で不誠実な医療というべきである。そして、《証拠省略》によれば、本件において、もしも藤本医師が医師として尽くすべき注意義務を懈怠することなく元の経過観察にあたっていたとすれば、元が少なくとも脳炎等の中枢神経系の疾患に罹患していることをより早期に発見できたというべく、そして、右発見がなされていれば直ちに元を厚生病院等の脳外科の専門病院に転院させられたであろうこと、そして右転院先で、より早く適切な治療措置が講じられれば元が救命された可能性も絶無ではないことが認められる。

従って、藤本医師の前説示のような過失ある診療行為が元に対する不法行為を構成することは明らかである。

4  被告の責任について

被告が国立病院を所有、経営し、同病院において藤本医師が勤務していることは前記認定のとおりであるから、被告は民法七一五条によって、原告の後記損害を賠償すべき責任があるというべきである。

四  原告の損害について

(一)  慰謝料

前記認定の諸事実すなわち、本件における藤本医師の義務違反の態様及び程度、元に対する診療期間、本件当時の元の年齢等諸般の事情を考慮すると、元の精神的苦痛を慰謝するには一〇〇万円が相当である。

(二)  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告及び浩が本訴の提起、追行を原告訴訟代理人に委任したことが認められ、本件訴訟の内容、経過及び認容額その他諸般の事情に鑑みると、原告及び浩が被告に請求しうべき弁護士費用の額は各五万円が相当と認める。

(三)  原告の相続

元が昭和五七年八月一〇日死亡し、原告及び浩がその権利義務一切を各二分の一の割合で相続し、その後、浩が昭和六二年一月二三日死亡して原告が浩の権利義務一切を承継した事実は当事者間に争いがない。

五  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、一一〇万円及び内一〇〇万円に対する不法行為の後の日である昭和五七年八月一一日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行及びその免脱の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 梶本俊明 裁判官 兒嶋雅昭 神山隆一)

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